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ヨーロッパ取材旅行の簡略な報告

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ヨーロッパ取材旅行の簡略な報告(その2に代わって)

 下記(その1)では、全5つの内T〜Uまでの報告をした。
 
 本来ならば予告どおりV〜Xの報告をするところだが、(その1)でも
記した通り、「これらの旅で得た知見や感懐の数々は(当然、想像的所産
も含む)、すべて連載の「遡行譚」の中に流入、置換、改編されることに
なる」性質のものである。
 
 そして、現在「遡行譚」を書き進めていくなかで、この報告はいよいよ
「遡行譚」の中に組み込まれることとなった。本来V〜Xで報告されるは
ずだった事柄は、全て「遡行譚」の中で語りたいと思う。言い換えれば、
この取材旅行もまた「遡行譚」の中で追体験されることになる。

 それがどのような旅になるのか、私同様、皆さんにも楽しみにしていた
だきたい。
写真などは、また何かのかたちでお見せできるようにしたい。
                                         
                             中村邦生
 










ヨーロッパ取材旅行の簡略な報告(その1)
 ――スイスのライン川上流、中世都市、そしてロンドンも少し

 2011年9月、短期間ではあるが、スイスのバーゼルからボーデン湖
までのライン川上流の調査と、中世都市(シャフハウゼン、シュタイン・
アム・ライン、ドイツのコンスタンツ、サンクト・ガレン、バーゼル、ラ
インフェルデン、ルツェルン、チューリッヒ)の取材、またロンドンでは
テムズ川の船上からロンドンを観察してきた。
 旅の目的と軌跡をまとめれば、ほぼ5つになる(当初の目的以外に、事
後的に得た成果も含む)。

T 有島武郎と中世都市(シャフハウゼン)
U ライン川(ボーデン湖からバーゼルまで)
V ジャコメッティとロスコ
W クリストフォロス伝説
X ふと立ち止まった風景から

 以下は写真による大まかな報告。大まかとあえて言うわけは、これらの
旅で得た知見や感懐の数々は(当然、想像的所産も含む)、すべて連載の
「遡行譚」の中に流入、置換、改編されることになるからだ。今回はTの
有島武郎と中世都市(シャフハウゼン)とUのライン川(ボーデン湖から
バーゼルまで)の報告。



T 有島武郎と中世都市(シャフハウゼン)
 この旅の計画のきっかけとなったのは、「遡行譚」の挿話として神田川
の江戸橋近くで生まれた有島武郎に関係がある。武郎は28歳の年(19
06年11月)、アメリカ留学の帰途イタリア経由で、ルツェルン、チュ
ーリッヒをへて、スイスのライン川沿いの小さな町シャフハウゼンに滞在
した。期間は一週間にすぎなかったが、宿泊した「白鳥ホテル」(ホテル
・シュヴァーネン)のオーナーの娘ティルダ・ヘックに熱烈な恋をして、
帰りの寄港地からはもちろんのこと、帰国した後も死の前年まで16年間
にわたりラブレターを書き続けた。そこには愛の感情の煩悶のみならず、
当時の時局批判や人生観までが率直に吐露されている。約100年前に有
島の訪れた場所の足跡を辿りつつ、今に面影を残す中世都市を体感した。

@ シャフハウゼン
スーパーマーケットMANORになっている建物が旧「白鳥ホテル」。
町でもっとも賑やかなフロンヴァーク広場に面している。
有島武郎は28歳の年(1906年)11月に宿泊した折、ホテルの娘ティ
ルダ・ヘックに恋をして、有島の亡くなる前年までの16年間ラブレター
による交流がつづいた。



「白鳥ホテル」の入り口のレリーフ。
中世の建物で、建造物それ自体としては、100年前と変わっ
ていない。



フォルダー通りにある1566年改築の「騎士の家」。
ファサードに描かれた絵が美しい。


ムノート砦から眺めた市街とライン川


Aラインファル(ラインの滝)
全長1320キロのライン川唯一の滝。
シャフハウゼンの南およそ4キロの場所にあって、有島の一行
も訪れた。中央に見えるのが岩島で、そこへボートで渡った。
落差は23メートル、幅は約150メートルだが、毎秒70万
リットルという世界の川でも有数の水量を誇り、足元に響く激
流の迫力に圧倒された。


ラインの滝での「旅する『転落譚』、愛を道づれに」。
右手に見える建物はラウフェン城で、いまはホテルとレストラ
ンになっている。


滝に向かうボート。いくつかの遊覧コースがある。
私は岩島の後、反対岸のラウフェン城側に渡った



滝に近いシュロス・ラウフェン・アム・ラインファル駅。
もちろん、無人駅。上に見えるラウフェン城のレストランで
お茶を飲んだ後、シャフハウゼンに戻った。





U ライン川(ボーデン湖からバーゼルまで)
 バーゼルからボーデン湖畔の小都市コンスタンツ(ドイツ)にいたるラ
イン川の巡遊。ボーデン湖はスイス・アルプス地方から雪解け水が流入し
ているので、それらの多くの小河川を「上流」と本来は言うべきなのだろ
うが、私にとっては「遡行譚」との関係でボーデン湖=井の頭池であり、
ライン川=神田川はここから始まることになる。
 有島武郎も訪れたライン川唯一の滝「ラインファル」(ラインの滝)を
遊覧ボートで滝の中央にある岩島に渡り、そこから滝の奔流を観察した。
落差は23メートルにすぎないが、幅は150メートル、世界の川の中で
も有数の水量(毎秒70万リットル)を誇るだけに、足元に響く激流の迫
力に圧倒された。
 また、シュタイン・アム・ラインからシャフハウゼンまで、約2時間ま
で船でライン下りをした。沿岸には美しい家々や森が続き、ちょうど日曜
日だったせいか(夏の陽気が途中で一転して肌寒い小雨に変わったのだが
)、小さなプライベート・ビーチのようになっている岸辺でくつろぎなが
ら、ゆったりと遊泳をする家族やカップルが大勢いた。船に向かって手を
振る子どもたちの姿が思い浮かぶ。ただし、このときはうかつにもカメラ
のバッテリーを切らしてしまい、映像の記録はできなかった。
 ライン川の豊富な水量と流れの速さ、何よりその清浄な水質は驚くほど
だった。「生きた川」として人々の生活と一体化し、日常的に享受してい
る様子は何度となく羨望をおぼえた。
 翻って考えれば、かつて江戸という田園都市は、ゆたかな活力ある水辺
空間を持っていたが、東京は川を暗渠と高速道路に変貌させた。「水辺」
の抑圧と排除は、近代化の看過しがたい負債と言うほかはない。この問題
に関し、日本橋川・神田川・墨田川に「水辺」との触れ合いの復活を提案
し、「体感型博物館構想」を打ち出している渡辺一二氏の仕事は、貴重な
ヒントの一つであろう(『江戸の川・復活』東海大学出版会)。
 ロンドンでは、テートモダンの桟橋からウエスト・グリニッジまで船に
乗った。実はグリニッジで下船する予定が、うっかり乗り過ごしてしまっ
た。そのような工場地帯で降りる者は私一人。帰りはロンドン・タワーま
で戻り、往復で約100分ほど船上からテムズ川を観察したが、ライン川
とは比べようのない泥水のような水流ではあったが、それでも女の子を含
む小学生とおぼしき六人のグループが、歓声を上げながらカヌーの訓練を
受けている光景に遭遇した。

@ コンスタンツのボーデン湖
コンスタンツの埠頭からボーデン湖を見る。
コンスタンツ(ドイツ領)は約2千年の歴史を持つ小古都。
エラスムスやネルヴァルが、その美しさを絶賛した。


日曜日の午前、ボーデン湖畔で読書をする親子。
自転車が一台。息子が先に来ていたのかもしれない。
ボーデン湖はスイス、ドイツ、オーストリアの国境にあり、ア
ルプスの雪解け水が注ぎこむライン川最大の貯水湖。


コンスタンツのライン橋。実質的に、ライン川の第一架橋。
橋上には各国の旗が翻り、なぜか日章旗もあった。


ライン橋から下流をのぞむ。船が上ってくる。
水流の豊かさと勢いは、すでにここから感得できた。
今回の旅の目的のひとつは、この橋からの景観を確かめること
だった。


A シュタイン・アム・ライン
シュタイン・アム・ラインの船着場。
ここからシャフハウゼンまで船に乗った。所要時間は2時間弱。
沿岸には美しい家々や森が続く。夏の陽気が途中で一転して肌
寒い小雨に変わったのだが、それでも岸辺でくつろぎながら、
遊泳をする家族やカップルが大勢いた。
このとき、うかつにもカメラのバッテリーを切らしてしまい、
映像の記録はできなかった。



シュタイン・アム・ラインのウンダーシュタット通りの街並。
中世の面影を今に残し、その美しさから「ラインの宝石」と呼
ばれる。左手奥の建物はラートハウス(市庁舎)で、壁には町
の歴史が描かれていた。



ウンダーシュタット通りのカフェ。
メニューの前で、幼子の人形は何をねだっている
のか。ここでスイス独特の瓶詰ドリンクを飲んだ。
牛乳の脂肪分をすべて抜いた、ほのかな甘味のある
さっぱりした味わいの飲み物だったが名前を失念。



B バーゼル
ミュンスター(大聖堂)の裏手のテラスから見るライン川とヴ
ェットシュタイン橋。
バーゼルは北海に通じるライン川水運の中心都市であるが、水
はきれいで遊泳場もある。


ミュンスターの裏の階段を下りるとラインの渡し舟
の乗り場があった。流れは急で10人ほどの定員の
小舟はワイヤーロープに引かれながら川を渡った。


ライン川北岸の遊歩道から、バーゼル大学の旧校舎(黄色の建
物)を見る。この校舎で、19世紀にはブルクハルト、ニーチ
ェが教壇に立ち、第二次大戦後はカール・バルトとカール・ヤ
スパースが同時に講義をしていた。



バーゼルはスイス、ドイツ、フランスの三国と国境
を接する。国境点はライン川上にあり、その近く
に三つの国旗をデザイン化したオブジェがある。
市街から北に1キロ、必ずしも行きやすい場所では
なかったが、途中で貨物船や客船(イギリス行きの
客船に乗り込む客たちに遭遇した)が停泊している
場所をとおり、いかにも港湾都市らしい風景を楽し
んだ。



三国国境のオブジェの前の「旅する『転落譚』、愛
を道づれに」。
手前がスイス、右の対岸がドイツ、左の対岸がフラ
ンスになる。



C ラインフェルデン
ラインフェルデンのライン川。左岸がスイス、右岸がドイツ。
遠くドイツ側に渡る石橋が見える。ラインフェルデンはバーゼ
ルから東へ17キロのところにある中世の町。
私は行かなかったが、温泉センターがある。


スイスから石橋(中央に見える橋)を渡ってドイツに入り、川
岸のレストランで昼食をとった。パスポートの提示はなし。
町の名は同じくラインフェルデン。
右手に球体の不思議なオブジェがあったが、作者は不明。


D アウグスタ・ラウリカ
ライン川最古のローマ遺跡であるアウグスタ・ラウリカの野外
劇場。中央部分は復元したところ。
アウグスタ・ラウリカライン川の豊かな恵みを利用した古代の
大都市。バーゼルとラインフェルデンのほぼ中間に位置する。


野外劇場跡の「旅する『転落譚』、愛を道づれに」。
建設されたのは紀元前40年頃らしい。現在の住民は800人
程度だが、最盛期は2万人近くが暮らしていた。


地下の下水道の遺跡。100メートルほどの地下道として残っ
ている。すでに当時、上下水道が町に完備され、こうした遠征
地の都市でも文明の高さを維持していた。



E 水力発電所
アウグスタ・ラウリカの近くにある水力発電所。
周辺の環境へエコロジカルな配慮をしていることを示す掲示板
があった



発電所のダムの上。ダムで水を堰き止めてあるが、
スエズ運河型の水位を上下調整する水門の開閉設備
があり、船の通過や、魚が行き来できる配慮をして
いる。





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