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    日々、偶景から




               丸木美術館へ
                  ひさしぶりに「原爆の図・丸木美術館」(埼玉県東松山市下唐子)へ行く。
             大東文化大学東松山校舎から北へ直線距離で3キロほどのところ。丸木位里
             ・丸木俊夫妻がおよそ30年の歳月をかけて完成した連作「原爆の図」の屏
             風絵は、すでに20か国以上を巡回してきた。2011年3月11日以降、さらにこ
             の美術館の世界に向けての存在の意義と発信力は増しているはずだ。
             魂の方位を確かめる「原爆の図」との面会は言うまでもないが、私がこの美
             術館を訪れるのは、次の写真に示すような場に身を置くことも大きな理由だ。

                 丸木俊の『つつじ姫』の原画が展示されていた。文は松谷みよ子。
                 ここには、丸木位里の母、丸木スマの小動物や花や野菜などの奔放な児童画のような作品も
                 見ることができる。七十歳を過ぎて描きはじめたのだ。
                 できれば、位里の妹の大道あやの絵も見ることがでいればいいのだが。あやもまた六十歳の
                 ときに絵を描き始めたのだ。聞き書きの回想録『へくそ花も花盛り』は、凄絶とユーモアが
                 同時にあふれた私にとってはたいせつな本。


                 丸木夫妻のアトリエ兼書斎。いまは休憩室として来館者に公開されている。
                 この初夏の日、1時間ほどこの部屋で読書をしていたのだが、誰も来なかった。
                 窓からは都幾川の流れが見える。
                 先の大道あやは、花火工場の爆発で息子と夫を相次いで亡くした後、兄に誘われて丸木美術館へ
                 住むようになった。しかし俊とそりが合わず、栃木、埼玉の越生へ移り住んだ。
    
             

                 アトリエの窓際の文机の上にあったクレヨン箱。来館者が自由に描けるように置いてある
                 ものだが、この乱雑な色の取り合わせに、休息のひと時、心ひかれた。
                 色の取り合わせということで言えば、大道あやはあれほどの事故の記憶があったはずなの
                 に、色が噴上がるような躍動感に満ちた花火の絵を臆せずに描いているのだ。

 



               銀座の奥野ビル、伊勢功治個展へ
                  グラフィックデザイナーの伊勢功治氏からお誘いを受けて、
            6月の初め銀座の奥野ビル、画廊・巷房2「詩画集の宇宙」へ行く。

                 地下の会場、画廊「巷房2」に行く途中の階段に、さりげなく展覧会案内があった。
                 ところで、地下にあるこの画廊は、銀座アパートメントの時代、共同浴室だったところ。
                 


                 すでに思潮社から『天空の結晶』(柳井智之・画)として刊行されている作品のほか、
                 新作の『星座の記憶』の詩画の展覧会。
                 緊密な硬度の高い言葉が、コズミックな飛翔を果たしている世界だった。


                 画廊の「巷房」の入っている奥野ビル(中央区銀座1丁目)は、1932年(昭和7年)竣工の、
                 当時は高級アパートメント。今はない原宿の同潤会アパートと同じく川元良一の設計。
                 かつての部屋はギャラリーやデザイン関係の店になっている。


                  地下の「巷房2」の入口の左上部にある、正体不明の戸棚。
                  開けると、地下の構造体の一部なのか、古い赤煉瓦が詰まっている。
                  こういうものを見て、まことに気分が活気づくのはどうしてか。


                  地下の階段下にある「巷房3」。腰をかがめて、しゃがまないと見ることのできないディープな
                  場所がある。覗き込むと、ちょうど野村喜和夫(詩)と北川健次(画)、装幀・伊勢功治の詩画
                  集『渦巻きカフェあるいは地獄の一時間』(思潮社)刊行記念の展示があった。


                  奥野ビルのエレベーター。
                  昭和初期の建物なのであるから、当然、手動式。
                  乗り方の注意書きが貼ってある。


  
         竹葉亭

                  奥野ビルに行った後、どこか老舗で昼食をとりたくなって向かったのは、
                  鰻割烹の店「竹葉亭」本店。銀座1丁目から20分ほど歩いて、銀座8丁
                  目にある。一部、大正13年の建物も残す。
                  ここは昔の町名で、木挽町と呼びたい。

            

          




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